なぜ私たちはこの世に生まれたのか。それは、この与えられた身体を使ってより多くの「徳」を積むために生まれて来たんです。たとえば、両眼でしっかりと物事を見て、耳で聞いて、よく動く手で、しっかりとした足を使って、世のため人のため、喜ばれるために行動して「あなたがいてよかった」というような行動をすること。
では、具体的にどのような行動をとればいいのか。
実は、お経の中に説かれているので、これからご紹介しましょう。
無財の七施
日常生活、お金がなくてもできるお布施があります。それがお経に書かれています「無財の七施」です。お金がなくても七つのお布施ができるとのことです。それではどのような布施があるのでしょうか。
眼 施がんせ・・・優しくにこやかな眼で人と接する
にらむような眼で人と接するのはお布施になりません。慈しみのある眼で人と接しましょう。
和顔施わがんせ・・・優しくにこやかに人と接する
どんなに疲れていても、不機嫌でもニコニコとした顔で人と接しましょう。
愛語施あいごせ・・・慈しみのある言葉で語りかける
たとえば「お前ら」と言うのではなく「皆さま」と言うような丁寧な言葉使いを心がけましょう。
身 施しんせ・・・自分の行動による施し
ごみ拾いをしたり、人が困っていたら手を貸すとか、身をもって行う布施のことです。
心 施しんせ・・・他者の平和を願う心を持つ
他人の立場を理解し、心を配り、共感と思いやりを示すことです。
床座施しょうざせ・・・自分の座っている場所を譲る
たとえば電車やバスで満席の時に席を譲ってあげたり、仕事でも自分の役職を手放さずにずっと譲らずにいるのもいかがなものでしょうか。
房舎施ぼうしゃせ・・・人を泊めたり、場所を提供する
雨風をしのぐ場所や家を提供することです。
まとめ
「無財の七施」は見返りを求めず、純粋に相手を思いやる心から、行うことが大切とされています。
資本主義というこの世界に生きていく中で、本来の生きていく目的を見失わないためにも、この教えを日々実践していくことがとても大切です。

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